第6回(完結) 改正取引適正化|交渉で得た利益を「未来」へ。賃上げとビジョンで"選ばれる会社"になる方法

前回(第5回)では、2026年1月施行の取引適正化法・振興法を踏まえて、価格交渉を「お願い」から「根拠ある提案」へ変えるための原価管理について書きました。原価をきちんと語れる会社は、やはり強いです。見積書の内訳を整えるだけでも、発注者側の稟議は格段に通りやすくなりますし、「条件の見直しなんて、うちには無理だろう」と思っていた話が、急に現実味を帯びてきたりする。交渉のスタートラインに立てた実感があった方も少なくなかったのではないかと思います。
ただ、ここからが本番です。
価格転嫁が通った瞬間、多くの経営者がホッとします。「よかった、これでひと息つける」と。その安堵は当然でしょう。固定費は上がっているし、人は採れないし、現場は限界に近い。そんな状態がずっと続いていたのだから、ようやく単価が上がったときの安心感は大きいものです。
でも、あえて厳しいことを言わせてください。その成功は、放っておくと長続きしません。
なぜかといえば、価格転嫁はゴールではなく、会社を立て直すための「入口」にすぎないからです。値上げが通ったこと自体には意味がある。しかしその先をどう設計するかで、結果はまったく変わります。
最終回となる今回のテーマは、交渉で勝ち取った利益をどう扱うか――つまり「出口戦略」です。分配をどうするか。ビジョンをどう示すか。お金を残すこと自体が目的ではありません。賃上げ、技能承継、会社の持続性。この三つに利益を結びつけられるかどうかで、2026年改正が「法対応で終わった一件」になるのか、「会社を根本から作り直すきっかけ」になるのかが分かれます。
Contents
価格転嫁は手段であって、目的は「現場を守ること」
価格転嫁というと、どうしても値上げ交渉のテクニックとして語られがちです。でも法改正の背景にあるのは、もっと泥臭い現実です。
物価が上がっている。労務費も上がっている。ところが受注側は価格をなかなか上げられない。その結果どうなるかというと、現場が疲弊して人が辞めていく。技能を持った人がいなくなって、品質が落ちる。サプライチェーン全体がガタガタになっていく。
この負の連鎖を止めたい。だから法律は「協議に応じない」「一方的に代金を決める」といった行為に歯止めをかけて、まず交渉の土俵を整えたわけです。取引適正化法や振興法が本当に守ろうとしているのは、会社の内部留保というよりも、現場そのものの持続性なのだと私は考えています。
だからこそ、価格転嫁が通ったときに最初に確認すべきことは、「利益がどれだけ増えたか」ではありません。もっと手前の、もっと本質的なことです。賃上げにまわす原資はちゃんと戻ってきたか。ベテランが「もう辞めよう」と思わない水準まで待遇を戻せるか。若手を教育するために、現場に時間の余白を確保できるか。先送りし続けてきた設備更新やIT投資に、ようやく手をつけられるか。
賃上げは福利厚生ではなく、採用と定着のための「条件」です。技能承継も精神論ではなく、教育に時間とコストを割く「投資」です。結局のところ、その両方を回していくための燃料が利益であり、利益を生み出す入口が適正な取引対価なのです。このつながりを意識できるかどうかで、価格転嫁の「その先」がまったく違ってきます。
利益が出た瞬間に組織が壊れることがある──「期待のインフレ」には要注意
ここで一つ、経営の現場でよく起きる"嫌な現象"について触れておきます。
値上げが通って利益が増えたのに、なぜか社内がギスギスし始める。むしろ値上げ前より空気が悪くなる。……これ、珍しい話ではありません。
原因はだいたい同じで、期待だけが膨らんでいるのに、分配のルールが存在しないことです。現場のスタッフは「今度こそ給料が上がるだろう」と期待する。管理職は「人を増やせるかもしれない」と期待する。一方で経営者は「まず借入金の返済と投資が先だ」と考えている。この三者がまったく違うことを考えたまま分配の話に入ると、「あんなに値上げできたのに、結局これだけ?」という不満が噴き出します。
人間というのは不思議なもので、損をしているときよりも、得をしたときの分け方でこそ揉めるものです。だからこそ、価格転嫁の成果が出始めた会社ほど、早めに手を打っておきたいのが分配の設計です。
そしてここで効いてくるのが、人事評価の仕組みです。評価制度というと「できる人とできない人に差をつけるもの」というイメージが強いかもしれませんが、実はもっと大きな機能があります。
まず、会社が何を価値だと考えているのかを言語化できること。次に、増えた利益の分け方を感情論ではなくルールに落とし込めること。そして、技能承継や改善活動のように「短期的には生産性が下がるけれど長期的に会社を支える行動」を正当に評価できること。
分配のルールがない会社は、せっかくの利益をかえって組織内の「火種」に変えてしまいます。逆にいえば、ここさえ整えれば、利益は組織を前に動かす推進力に変わるのです。
3. 分配設計の実務──評価・賞与・昇給をバラバラにしない
では具体的にどう設計すればいいのか。ここからは実務の話に入ります。
ポイントは、評価・賞与・昇給をバラバラの仕組みとして扱わず、一本の筋でつなぐことです。
評価制度──「頑張った」を具体的に定義する
「頑張った人にちゃんと還元したい」。経営者からよく聞く言葉ですし、その気持ちは本物だと思います。ただ、ここで止まると危ない。なぜなら「頑張った」の定義は人によってまったく違うからです。
価格転嫁から賃上げへ、賃上げから技能承継へ、という流れを社内に作りたいなら、評価項目もその流れに沿わせると噛み合いがよくなります。例を挙げると、「原価や見積に貢献した行動」として、工数を正確に記録したこと、ムダな作業を洗い出したこと、内訳の整備に協力したことなどが評価される。「品質と再現性を高めた行動」として、手戻りの原因を記録して再発を防いだこと、チェックリストや標準手順を作ったことが評価される。そして何より重要なのが「技能承継に貢献した行動」です。新人のOJTを担当したこと、教えるための教材を自分で作ったこと、属人的だった作業を分解して他のメンバーと共有したこと。こうした地味でしんどい行動が、きちんと報われる仕組みになっているかどうか。
技能承継を本気で進めたいなら、「教える人が損をしない」設計は絶対条件です。教えている時間は、短期的に見れば自分の生産性を落とす行為です。それを評価で補わなければ、「忙しいから教えない」が現場においては最も合理的な選択になってしまう。結果として新人が育たず、ベテランだけが疲弊し、技能が途切れていく。これは現場で本当に何度も目にしてきた光景です。
評価制度は、この構造を逆転させるための装置です。「教えることは会社の利益につながる」と、制度というルールで宣言する。それだけで、現場の空気は変わります。
賞与──固定費を上げる恐怖と、現実的に折り合いをつける
経営者が賃上げをためらう最大の理由は、「固定費を上げる怖さ」でしょう。景気が悪くなったらどうする。受注が減ったらどうする。この恐怖は当然のものですし、無理に打ち消す必要はありません。
だからこそ現実的な選択肢として、まずは賞与という変動費の形で還元し、同時に分配のルールと、その背景にあるストーリーを社員と共有するやり方が効きます。
たとえば、増益分の使い道をおおまかに三等分するルールは、たたき台として非常に使いやすいです。3分の1を内部留保に。資金繰りの安定化や借入金の返済、不測の事態への備えに充てる。3分の1を投資に。設備の更新、IT導入、教育や採用のための費用に使う。残りの3分の1を社員への還元に。決算賞与や特別賞与などの形で渡す。
もちろん比率は会社の状況に応じて変えて構いません。大事なのは、分配が「社長の頭の中だけで決まっている」状態から脱却することです。
さらに効果が大きいのが、賞与を支給するときのメッセージの出し方です。「今期は単価改定と条件見直しによって、粗利が◯◯万円増えました。そのうち◯◯万円は設備更新と教育投資にまわします。残りのうち◯◯万円を、評価のルールに基づいて皆さんに還元します。来期以降は、基本給のアップも段階的に検討していきます」。こう説明するだけで、社員の受け止め方はまったく変わります。
このガラス張りのコミュニケーションが大切なのは、「会社が儲かれば自分たちにも返ってくる」という構造が見えるからです。そうなれば、次の価格交渉に必要な原価データの整備や、改善活動への協力も引き出しやすくなる。好循環が回り始めます。
昇給──スキルと賃金をつなぐと「賃上げ=投資」になる
最終的には基本給のアップを目指すにしても、昇給の基準がブラックボックスのままでは組織は持ちません。「結局、誰がどういう理由で上がるの?」が見えないと、不信感だけが積もっていきます。
ここでおすすめしたいのが、簡易的なスキルマップを作って、昇給の基準を「できること」と紐づけるやり方です。製造業であれば、たとえばレベル1は「基本作業を一人で安全にこなせる」、レベル2は「段取り替えや品質の判断ができる」、レベル3は「不良の原因を分析して再発防止の提案ができる」、レベル4は「後輩の育成に携わり、作業の標準化に貢献できる」。こんなふうに階段を可視化するだけで、賃上げの意味合いが変わります。
運送業であれば、付帯作業の切り分けや、待機時間・荷役作業の記録と改善提案も「技能」として扱えますし、IT業界であれば、工数見積の精度、仕様変更の線引き、再発防止策のドキュメント化なども立派なスキルです。
こうした設計を入れると、賃上げは単なるコスト増ではなく、「会社が社員の技能に投資している」という形になります。社員の側も、ただ「給料を上げてくれ」ではなく「上げるために何を身につけようか」と考えるようになる。技能承継が自然と動き出すのは、実はこういう設計がある会社なのです。
4. ビジョンを持つ──「叩かれない会社」から「選ばれる会社」へ
原価を見える化して(第5回)、分配を設計して(第6回)、賃上げと技能承継につなぐ。ここまでできている会社は、すでに十分に強いと思います。
ただ、さらにもう一段上に行く会社があります。それは、価格転嫁を「やられないための防衛策」で終わらせず、取引先から選ばれる理由に変えていく会社です。
長いあいだ、多くの中小企業は「叩かれないこと」を目標にしてきました。値引き要求にも耐え、無茶な短納期にも耐え、多少の手戻りも自前で飲み込んで、現場の踏ん張りでなんとか凌いできた。生存戦略としては理解できます。でも正直なところ、その戦略はもう限界に来ている。人が辞める。技能が途切れる。品質が下がる。最後は取引そのものが続けられなくなる。「耐えて残る」が通用しなくなっているのです。
ここでビジョンの力が試されます。ビジョンと聞くと、何か立派なスローガンを作る話のように思われるかもしれませんが、私はもっとシンプルに捉えています。「自分たちの会社は、どういう条件で仕事を受けるのかを決めること」。もっと言えば、「安さでは勝負しない」と腹をくくることです。
原価を語れる会社は、品質の根拠も語れます。この工程にこれだけの時間をかけている理由、この素材を使っている理由、この人員体制でなければならない理由。「なぜこの価格でなければ品質を担保できないのか」を説明できる会社は、発注者にとってもじつは安心できる存在です。サプライチェーンが不安定な時代ほど、いつでも「頼れる先」が欲しいからです。
そしてこの効果は、社外向けだけではありません。社内にも効きます。「うちは叩かれて当然の会社」なのか、「筋を通して選ばれる会社」なのか。この自己認識が変わると、社員の誇りが変わります。離職率が変わります。教える側の姿勢が変わります。賃上げの意味すらも変わるのです。単なる「取り分」ではなく、「この会社で腕を磨く価値がある」という裏付けになるからです。
2026年改正は法改正であり、経営の再設計である
最後に、全6回の連載の締めくくりとして、一つだけ強調させてください。
2026年の取引適正化法・振興法の改正は、単なるルールの変更ではありません。受注側の中小企業に対して、静かに、しかし確実に迫っているのは、経営そのものの再設計です。
原価を把握して、取引先にきちんと説明できる会社になる。交渉で得た利益を、賃上げと技能承継にまわせる会社になる。分配をルール化して、社員の納得を作れる会社になる。そして、叩かれないことを目指す会社ではなく、選ばれる会社になる。
ここまでやって初めて、法律が用意してくれた「交渉の土俵」が本当の意味で機能するのだと思います。逆に言えば、原価を語れず、分配のルールもあいまいなままであれば、法改正があっても現場の苦しさはそのまま残ります。むしろ、ちゃんと取り組んだ会社とそうでない会社の差が開いていく。
「うちにはまだそこまでの体制がない」と感じた方もいるかもしれません。それでも大丈夫です。大切なのは順番を間違えないことです。原価管理は最初はExcelの一覧表で構わない。分配も最初は賞与のルール作りから始めればいい。スキルマップだって、A4用紙一枚でスタートすれば十分です。小さく始めて、運用しながら少しずつ整えていく。それこそが中小企業の勝ち筋だと、私は信じています。
2026年は、守りの年ではありません。攻めに転じて、会社を生まれ変わらせるスタートラインです。この連載が、そのきっかけの一つになれたなら、こんなにうれしいことはありません。

中小企業診断士。経営改善計画策定・DX推進を専門とする経営コンサルタント。製造業や建設業を中心に、制度改正対応と利益改善を支援。制度改正を交渉力へ変える実務型支援を行っています。


