銀行・信金・信組職員が本当に受けるべきDX研修とは

金融庁はかつて、金融機関による融資審査やリスク管理の指針として「金融検査マニュアル」を活用していました。これは過去の実績や決算数字に基づいて企業を評価する枠組みであり、一定の安全性を確保する役割を果たしてきました。しかし、令和元年(2019年)にこのマニュアルが廃止され、金融行政の考え方は大きく転換しました。これ以降、金融庁は金融機関に対し、自らの経営戦略や融資方針を踏まえ、足元だけでなく将来の情報まで含めて企業の事業性を評価し、支援につなげることを重視する方針を示しています。
この背景には、日本経済が抱える人口減少・低成長・低金利環境という構造的な困難があります。過去のデータだけで融資判断をする時代は終わり、企業の成長可能性や将来のキャッシュフローを見据えた支援が求められるようになりました。結果として、金融機関には単に貸すだけでなく、企業の経営課題を理解し、ともに改善に向き合う「伴走支援」の役割が強く求められています。
こうした文脈で、金融機関向けにDX研修の需要が高まっているのです。しかし、多くの現場では依然として、財務は読める、決算書も見られる、稟議も書ける。けれど企業の業務そのものを構造として捉え、改善の方向性まで示すことができる人材は決して多くありません。ここに、銀行・信金・信組職員向けDX研修の本当の必要性があります。
DXは「ITツール導入」ではない
DXという言葉は、いまだに誤解されています。システム導入、クラウド化、AI活用、RPA、自動化。そうした言葉が並ぶと、どうしても「何か新しいITツールを入れること」がDXだと思われがちです。しかし、中小企業支援の文脈で本当に重要なのはそこではありません。重要なのは、業務の流れを理解し、ヒト・モノ・カネの動きを見えるようにし、その結果として利益とキャッシュフローを把握できるようにすることです。ITはそのための手段にすぎません。
私はこれまで、金融機関から紹介を受けて企業を訪問し、担当者と同行してヒアリングを行う場面を何度も経験してきました。現場に行くと、決算書はある、試算表もある、数字は一見揃っている。しかし、いざ業務の実態を見ようとすると、そこは霧の中のようになっていることが少なくありません。
「在庫が多い」と指摘しても支援にならない
例えば、在庫が多い。これはよくある話です。そこで金融機関側が「在庫が多いですね」と指摘する。確かにその通りです。しかし、それだけでは支援になりません。
中小企業、とくに下請型の企業では、そもそも元請や取引先の都合で仕入れ時期やロットが決まることが多いものです。納期も先方主導で決まりやすい。結果として、在庫を多めに持たざるを得ない構造があります。そうした企業に対して「在庫が多い」という現象だけを指摘しても、現場からすれば「そんなことはわかっている」で終わってしまいます。
問題なのは、在庫が多いという事実そのものではありません。問題なのは、いつ仕入れて、どこに保管し、どの工程で加工し、いつ出荷しているのか、その全体の流れが見えていないことです。そして、その一連の流れの中で、トータルでどれだけ原価がかかっているのかが把握できていないことです。ここが、金融機関職員が学ぶべきDXの核心です。
本来見るべきなのは、量ではなく流れです。在庫を「何個あるか」で見るだけでは足りません。仕入れのタイミング、保管期間、加工にかかる手間、出荷までのリードタイム。それらを追って初めて、在庫が利益にどう影響しているのかが見えてきます。原価がわかれば利益がわかる。どの案件で儲かっていて、どの案件で削られているのかが見えてくる。さらに、仕入れと出荷のスケジュールがわかれば、キャッシュフローも追えるようになります。いつお金が出ていき、いつ入ってくるのか。どの時点で資金が詰まりやすいのか。そこまで見えて初めて、資金計画が作れます。そして、資金計画が作れれば、適切なタイミングでの融資提案ができる。これこそが、金融機関に本来求められている支援です。
つまり、金融機関職員に必要なのは、表面的なIT知識ではありません。企業の内部構造を読み解く力です。財務と業務をつなぐ力です。数字の背景にある現場の動きを捉える力です。
Excelから始めて、業務フローを描き、仕組みに落とす
では、どのような研修が必要なのか。ここで重要なのは、「大規模システム導入」を前提にしないことです。多くの人は、DXというと、基幹システム刷新やクラウドERP導入のような大がかりな話を想像します。しかし、中小企業の現場の多くはそこまで行っていません。むしろ、もっと手前の段階に課題があります。在庫が感覚管理になっている。案件別の原価が見えない。データが担当者ごとにバラバラに管理されている。紙、口頭、Excelが混在している。こうした状態の企業に、いきなり高額なシステムを勧めても意味がありません。
本当に必要なのは、まずExcelから始めることです。Excelは軽視されがちですが、実は非常に重要な道具です。入力、集計、可視化、そしてデータ構造の設計。その基礎がすべて入っています。ヒトの稼働、モノの移動、カネの発生をExcel上で追えるようにするだけでも、企業の景色は大きく変わります。どこで作業が詰まっているのか。どこで数字が食い違っているのか。どの案件が利益を圧迫しているのか。Excelで構造化できない業務は、どんな高機能なERPを入れても使いこなせません。逆に言えば、Excelで整理できるなら、DXの土台はすでにできているのです。
ただし、Excelだけでは運用が不安定になりやすい面もあります。ファイルが分散し、入力ルールが崩れ、更新漏れが起きやすい。そこで次に必要になるのが、「業務そのものを描く」ことです。私はこの段階で、draw.ioのようなツールを使って業務フローを可視化することを重視しています。draw.ioは無料で使えるフローチャート作成ツールで、誰が、どのタイミングで、何を入力し、どこで承認し、どこで在庫が動き、どこで原価が発生するのか。これをフローで描いていきます。すると、二重入力、属人化、数字の不整合、ボトルネックが一気に見えてきます。大事なのは、draw.ioというツールそのものではなく、業務を「見える形」にすることです。財務資料だけでは見えないものが、フローにすると見える。DXとは、ツールを覚えることではなく、業務を構造として捉え直すことだと私は考えています。業務フローが見えれば、どこをデータ化すべきか、どこを集計すべきか、どこを自動化すべきかが明確になります。つまり、Excelが生きるようになるのです。
そして今は、ここから先までかなり短期間で進められる時代になりました。Excelやスプレッドシートで整理したデータを、Google Apps Script(GAS)で実装し、簡単なデータベースとWebUIまで構築できてしまいます。GASもGoogleアカウントがあれば無料で使えます。入出庫管理、案件別原価集計、在庫一覧、入力画面の整備。こうした仕組みを、かつてのように高額な業務システムとしてではなく、小さく素早く作れるようになっています。
誤解してほしくないのは、「GASを覚えましょう」という話ではないことです。金融機関職員全員がプログラミングをする必要はありません。そうではなく、「Excelで業務を構造化し、業務フローを可視化し、その先にはGASのような仕組みで実装まで行ける」という全体像を理解しているかどうかが重要なのです。その理解があれば、企業に対する支援の質が変わります。単なるツール紹介ではなく、「この会社はまずここから始めるべきだ」という筋道を示せるようになるからです。
こうして作られた仕組みは、規模は小さくても本質的にはERPに近いものになります。在庫管理、原価管理、データ統合。これらが一元化され、意思決定に使える状態になっているなら、それは立派な経営管理の仕組みです。高価であることがERPなのではありません。データが分断されず、経営の判断に使えることが重要なのです。中小企業においては、その第一歩がExcelであり、次の一歩が業務可視化であり、その延長線上にGASのような実装がある。この順番を理解していないと、DX支援は空回りします。
私自身、この流れで中小企業の業務改善を支援してきました。ITシステム開発会社に依頼したわけではありません。Excel、draw.io、GAS。いずれも無料または低コストで使えるツールです。つまり、この方法は再現可能です。金融機関の支援担当者が全体像を理解していれば、同じように企業を導くことができます。
伴走支援に中身を入れるために
ここで改めて強調したいのは、金融機関向けDX研修は「IT研修」ではないということです。AIツールの体験会でもなければ、クラウドサービスの紹介会でもありません。本当に必要なのは、業務を可視化する力、原価構造を読む力、データ設計の感覚、そしてヒアリング設計力です。入力・処理・出力・責任主体を整理し、企業の仕事の流れを図として把握できること。PLを読むだけではなく、どの工程が利益を削り、どこに滞留があり、どこを改善するとキャッシュが生まれるかまで踏み込めること。Excelで何を記録し、どう集計すれば、経営の判断材料になるのかを考えられること。どこに時間がかかり、どこに属人化があり、どこで数字が二重管理されているのかを聞き出せること。
こうした力があって初めて、「伴走支援」という言葉に中身が入ります。逆に言えば、これらがないまま「伴走支援」を掲げても、実績づくりで終わってしまいます。企業側から見れば、「制度の説明はしてくれる」「補助金は教えてくれる」「でも、現場は何も変わらない」ということになりかねません。
金融機関が本当に価値を出せるのは、資金の出し手であることに加えて、企業の流れを理解し、その理解を資金支援につなげられる点にあります。仕入れと出荷のスケジュールが見えれば、必要運転資金の山が見える。原価構造がわかれば、利益改善の余地が見える。業務フローが見えれば、ボトルネックが見える。その上で、「このタイミングでこういう融資が必要だ」「この工程が詰まっているので、先にここを整理した方がよい」と言えるなら、それはまさに伴走です。
まとめ
銀行・信金・信組職員が受けるべきDX研修は、派手なデジタルツールの研修ではなく、企業の内部構造を読み解くための研修であるべきです。Excelから始める。draw.ioで業務を描く。必要に応じてGASのような手段で仕組みに落とす。その一連の流れを理解する。これが、中小企業支援の現場で本当に役に立つDXです。
DXとは、巨大なIT投資の話ではありません。現場の流れを捉え、原価を見えるようにし、キャッシュフローを読めるようにし、経営判断を助けることです。今、金融機関に求められているのは、制度を説明する人ではなく、企業の流れを理解し、数字と現場をつなげられる人です。その土台としてのDX研修は、これからますます必要になるはずです。

中小企業診断士。経営改善計画策定・DX推進を専門とする経営コンサルタント。製造業や建設業を中心に、制度改正対応と利益改善を支援。制度改正を交渉力へ変える実務型支援を行っています。


